五頭連峰の麓、今板地区伝統の竹細工技術を継承する竹籠店

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鈴木亮平

新潟市在住のフリーランスの編集者・ライター(屋号:Daily Lives)。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。紙・WEB問わずコンテンツ制作を行う。

薄くスライスした竹の皮を編み、日常生活で使う様々な籠を作り出す。竹細工は日本各地やアジア地域で広く見られる文化です。しかし、手作りで行われてきた日本の竹細工は、安価な外国製品や大量生産される他の工業製品に押され、衰退の道を余儀なくされてきました。

新潟県内でもいくつかの地域で伝統的に竹細工が行われてきましたが、阿賀野市今板地区もさかんに竹籠が作られてきた集落の一つです。しかし、現在竹籠を生産販売している工房は数軒となり、その一つが小林ミドリ竹籠店です。

大正3年(1914年)に今板で生まれ、90歳まで現役で竹籠を作り続けた故・小林ミドリさんが残した技術は、現在はミドリさんの長女の曽我美代子さんと次女の山本幸子さんが継承しています。

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工房の壁に掛かっている故・小林ミドリさんの写真。
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竹細工の技術を受け継ぐ小林ミドリさんの長女・美代子さん(右)と次女・幸子さん(左)。

 

今板集落で当たり前のように行われてきた竹籠づくり

今板地区の竹細工は約300年前から行われていたと言われています。男性は近くで取れる竹の採取や、力仕事を必要とする制作を担い、女性が本体の編み込みを主に行う。子どもたちもできる範囲で制作を手伝う、というのが集落内の家庭で当たり前のように行われていたことでした。

小林ミドリ竹籠店の美代子さんと幸子さんは、「私たちが子どもの頃は、70~80軒の家で竹籠づくりが行われていました」と話します。農家の副業として各家庭で作られていた竹籠は、農繁期を除いて一年を通して行われていたといいます。

畑の野菜の収穫用の籠や、家庭の台所で食器を入れる籠など、庶民の日常的な生活用品として使われてきました。しかし、時代の変化と共に竹籠は徐々に需要が減り、製造をやめる家が増えていったそうです。

 

安価な生活用品から、付加価値の高い民芸品へ

そんな中、集落で竹籠の生産を続けた工房の一つが小林ミドリ竹籠店でした。先代の小林ミドリさんは、作るのに苦労する割に安く買われてしまう生活用品としての竹籠を、芸術的価値が認められる民芸品へと高めることを目指します。

そして、昭和47年(1972年)に日本民芸公募展に初めて出品して最優秀賞を受賞。その後も多くの賞を受賞し、昭和57年(1982年)にはこの地域にゆかりのある画家・竹久夢二の絵からヒントを得て作った夢二籠を生み出しました。

この夢二籠は多く人に求められ、生産が間に合わないほどの注文が続いたと言われており、現在も小林ミドリ竹籠店の代表的な商品となっています。

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伝統技術を用いて民芸品へと高めた作品の数々。左上が「夢二籠」。
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小林ミドリさんは昭和47年以降、数々の賞を受賞してきた。

 

竹籠づくりで一番重要なのが「材料づくり」

小林ミドリ竹籠店では、地元で取れる「出湯笹」「根曲がり竹」「孟宗竹」のほか、岩手県二戸郡で取れる「鈴竹」を取り寄せて、それらを加工して竹籠の材料として使っています。
「材料づくりが一番重要です。竹は根の方が太く、先に行くほど細くなりますが、その幅を均一にしていく必要があります」と幸子さん。材料作りは鉈(なた)で竹を4つに割り、それを乾燥させ、頑丈な皮の部分だけを薄くスライスしていきます。材料となる竹が均一の幅でないと、仕上がりにも大きな影響を与えることになります。

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左が地元産の根曲がり竹、右が岩手産の鈴竹。

また、毎年初夏と秋に山に入って竹の採取を行うそうです。「竹の採取が一週間早かったり遅かったりするだけで竹籠に向かないものとなってしまうので、そのタイミングが重要」なのだそう。竹籠を編むだけでなく、その材料の採取や加工にも多くの手間が掛かっていますが、固有の伝統や文化を大切にしていることの現れでもあります。

 

制作には、一本の鉈、一つの盤を使い続ける

竹籠を編む作業は一見シンプルに見えますが、正確に素早く六つ目を編むには高い技術が必要とされます。作業は「盤(ばん)」と呼ばれる丸太を使って行われますが、最初斜めにカットされていた盤は、鉈で叩く作業により長い年月を経て変形をしていきます。先代のミドリさんが使っていた盤は、表面が曲面に変形し、数十年という長い歴史を感じさせます。また、鉈を使う作業では、刃の一部分を使うことが多く、ミドリさんが約60年間使っていたという鉈は大きく変形しています。同じ制作者が自分専用の鉈や盤を持ち、慣れ親しんだ道具を長く使いながら技術を磨いていくそうです。

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ミドリさんが使っていた「盤」。
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左側の2本の鉈がミドリさんが使っていたという鉈。
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竹はリズミカルな音と共に素早く六つ目に編まれていく。
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六角形に面が作られていく。
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横に編まれた竹は重なり部分を付けて固定する。
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盤の上で丁寧に素早く竹を編んでいく美代子さんと幸子さん。

 

経年変化を楽しみながら何十年も使い続けられる竹籠

竹の皮で編み込まれた籠は、頑丈で耐久性が高いのが特徴です。美代子さんが道具入れとして15年使っているという夢二籠はすっかり飴色に変化し、新品にはないツヤをまとっています。一方で、目立った損傷は見られず、その品質の高さが証明されていました。

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左が15年間使ってきた籠。右は新品。
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ユニークな形をした平成籠。

生前ミドリさんは、「竹籠は美しくて、使いやすく、丈夫だ」と、その機能美について話していたそうです。

現在、小林ミドリ竹籠店の商品は、五頭山麓のうららの森(阿賀野市村杉)や北方文化博物館(新潟市江南区沢海)、村杉温泉の旅館(阿賀野市村杉)などで実物を見て購入することができます。

竹籠づくりの担い手の育成が今後の課題ですが、冬季を除いて月1~2回、阿賀野市今板にある工房で竹籠づくりの教室を行い技術の継承を行っています。

山に入って竹を取り、それを手で編んで日常的な道具を生み出す。流行り廃りとは縁のない今板の竹籠が持っているのは、他ならないこの土地の歴史と風土です。

大量生産・大量廃棄が繰り返される工業製品が私たちの周りにはあふれ、気が付けば、ストーリーを見い出すことができない道具に囲まれていることが当たり前になっています。

一方この竹籠は、自然の竹を取り、それを今板という土地で編むという、とてもシンプルな工程を経て作られます。素性の分かるモノを長く使うという、かつては当たり前だった人とモノの関係を再構築してくれる。この竹籠には、そんな力も秘められています。

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小林ミドリ竹籠店

住所:阿賀野市今板

http://www.kobayashimidori-takekago.jp/

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