城下町新発田の自然や文化を、手描きローケツ染めで表現する染職人

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手描きローケツ染めという染色の技法をご存知でしょうか。綿や麻、絹などの布地に、煮出したロウで線画を描き、ロウの線で区切られた面一つ一つに手描きで染料を入れていく技法です。

新発田市大手町にある泉屋染物店の三代目・山田真嗣さんは、手描きローケツ染めや藍染めを行う染職人。しおりやコースター、巾着袋などの小物から、のれんやタペストリー、額絵などの大きなものまで全て手作業で染めていきます。

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下絵を描いた布地にロウで線画を描く山田真嗣さん。
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やり直しが利かない作業ゆえに、薬指を布に添えながら慎重に描いていく。

 

京都の修行時代を経て、21歳で家業を継ぐ

山田さんは高校卒業後、染物の技術や関連する知識を習得するために、祖父の指示で京都の着物染色関連の店に修行に行きます。「お世話になったお店は、大手のメーカーと職人さんの中間の位置づけで、企画や絵柄の考案、営業、現場まで、ここで幅広い経験を積ませて頂きました」と山田さん。

そこで、手描きで染める友禅染めやローケツ染めを職人さんが行うのを見て学んでいったと言います。「学校のように一つ一つ指導をしてもらえた訳ではなく、職人さんが染めを行うのを、横に座って観察をしながら覚えていきました。若いころの集中力と吸収する力はすごいもので、基本となる知識はこの時に見て覚えたものが全てと言っていいくらいです」(山田さん)。

実は山田さんは少年時代に父を亡くしており、京都修行時代の21歳の時に祖父も他界。それにより、ひとまず3年間の京都での修行を終えて新発田へと戻ることになりました。

21歳という若さで店を継ぐことになり、また、先代から技術を受け継ぐ機会を得られないまま、染職人としてスタートを切ることとなったのです。

 

京都との環境の違いに苦労を重ねた二十代

京都で学んだ染物のノウハウをもとに、独力で技術の研鑽を続けた山田さん。しかし、新発田に戻ってから何年もの間、染物の環境が整った京都との違いに苦労したそうです。「京都では染料や薬品が手に入りやすく、染物の研究所もあり、サポートをしてもらえる環境が整っていましたが、新発田では自分で解決していかなければなりませんでした」(山田さん)。

また、京都は作品への評価が厳しく、いいものを作ることへの意識が非常に高い場所でしたが、新発田にはそこまでの感覚はなく、そのギャップにも悩まされたと話します。「そんな苦労から、29歳の頃に顔の半分の毛の色素がなくなるということが起こりました。今も右の眉毛が白いのは、その頃のストレスによるものです」と山田さん。

 

藍染めの小物に新たな活路を見い出す

苦労して染物を作りながらも、なかなか販路を見つけられないという課題に直面していた頃、北方文化博物館の館長・伊藤文吉さんと出会います。伊藤さんは山田さんに藍染めの作品を作ることを奨めます。そして、完成した作品を北方文化博物館の売店で販売することを提案されたそうです。

その言葉に希望を見出した山田さんは、藍染めの技術を習得するために再び京都へと赴き、数カ月の制作期間を経て、藍染めのハンカチを完成させました。

その後、藍染め・ローケツ染め・藍抜染をベースに商品開発を進め、新潟県や新発田市の観光土産品・特産品として推奨品の資格を受け、販路を少しずつ拡大していくことができたのだそうです。

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花を描いたしおり。藍染めをした後に抜染をし、そこに手描きで彩色を施していく。
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綿のコースター。こちらは藍染めと抜染だけをしてシンプルに仕上げたもの。
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新潟県の里山で見られるカタクリの花を描いたペンケース。

 

郷土新発田の自然や文化を描く

山田さんが手掛ける藍染めの小物や、ローケツ染めののれんなどには、地元の自然や文化が描かれたものが多く見られます。山田さんは、新発田市の花であるアヤメや、新潟県の花であるツバキ、かつて日本一と言われた加治川の桜などを、手描きで鮮やかに描いていきます。

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下絵に合わせてロウで線画を描く。ロウや染料を乾きやすくするため、部屋の温度は高めに設定。そのため、山田さんは冬でも半袖で作業を行う。

山田さんの郷土への思いは、少年時代の恩師が教えてくれた自然の中での魚釣りなどの体験がベースになっていると話します。今ほど交通が発達していなかった時代に、18歳で家を出て京都で修行をしていた間に新発田への郷愁を深め、新発田の豊かさをさらに強く感じるようになったそうです。

花びらや葉を描くのに、一つ一つ丁寧にグラデーションを付けて、表情を与えていくのが山田さんの手描きローケツ染めの特徴。小物として多くの人に届けられ、また、旅館や店舗などののれんとして使われて人の目に触れることで、山田さんが描くふるさとの美しさが多くの人へと伝わっていきます。

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色ごとに筆を変えて彩色をする。
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濃い色と薄い色を塗り分け、その後中間をグラデーションにすることで、絵に生き生きとした表情が与えられる。
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最後にロウを落とすと、そこだけが白く残る。こちらは新発田市内の月岡温泉の旅館に納められる絹の大きなのれんの一部。

尽きることのない染物への思い

染職人として40年以上の経験を持つ山田さんですが、その技術について「これでいいという限界がない」と話します。経験を積み重ねながら、次の作品のアイデアや制作の方法が思い浮かび、実践を重ねていきます。忙しい時期は、お店の2階の6畳ほどの作業場で朝から晩まで布に絵を描き続けるそうです。

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線画を描く際は、ロウを煮出しながら行う。室内での作業のためマスクをつけながら作業が行われる。

とても手間の掛かる作業の繰り返しですが、「お客さんから電話で直接感想を頂くことがあり、それはとても嬉しいことです。また、瞬間的に次のアイデアがひらめいてそれを実践したり、この仕事のやりがいは、一つ二つの言葉では言い表せないとても深いものです」と山田さん。常にお客さんを感動させることを忘れずに、丁寧に作品を染め、60歳を過ぎた今も技術の向上に努めています。

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幅2.5mの大きなローケツ染めののれんの下絵。細部まで丁寧に描かれている。

これからのことについて山田さんにうかがうと、「京都や加賀では、染物がしっかりと文化として認知され、産業として根付いています。新発田でももっと染物の価値を認知してもらえるようにする必要があると感じます」(山田さん)。

現在、染物の講座を立ち上げて技術の指導をしたり、地元の子どもたちに課外授業で染物の文化を教えたりという取り組みを行っています。

染物屋の三代目として店を継ぎ、人生の様々な場面で師に恵まれながら染職人としての道を歩んできた山田さん。染物という文化の保存や発信が、これからの山田さんにとっての大きな目標の一つとなっています。

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縁起物のカブを描いたタペストリー。
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江戸時代の画家・尾形光琳の作風をモチーフにしたのれん。

泉屋染物店

住所:新潟県新発田市大手町1-7-2

電話:0254-22-3216

URL:http://izumiya-aisome.com

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