明治11年創業、土づくりから手作業で行う庵地の老舗窯元

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鈴木亮平

新潟市在住のフリーランスの編集者・ライター(屋号:Daily Lives)。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。紙・WEB問わずコンテンツ制作を行う。

豊かな田園風景が広がる阿賀野市の通称「庵地(あんち)」地区には、焼き物に適する良質な土が取れることから、かつては多くの瓦を焼く窯や生活雑器を作る窯がありました。しかし、焼き物は戦時中から戦後にかけて廃れていき、この地で戦前から続く窯元は現在では旗野窯一軒となっています。

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長い歴史を感じさせる、築137年の旗野窯の工房。

旗野窯は、昭和37年(1962年)に3代目当主・旗野義夫さんが登り窯を始めた時に、「自分が生まれ育った土地の名前を付ける」と、「庵地焼」と命名したのが始まりです。その窯は、昭和36年(1961年)の第2室戸台風で壊れた登り窯を直し、渾身の想いで再開した、義夫さんにとって特別な窯でした。

さらに昭和49年(1974年)には登録商標が認められ「庵地焼」の名が世の中に広がっていきます。

庵地の粘土には鉄分が多く含まれており、旗野窯で調合された黒釉をかけることによって、艶と深みのある「庵地黒」が生まれます。また、重量感と厚みがあり、とても頑丈で、一度円形で作った器を八角形に切り出す「面取り」を施すのも庵地焼の特徴となっています。

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旗野窯の代表的な器である、面取湯呑と面取急須。

 

伝統の技術を用い、使いやすさにこだわった民芸陶器に

明治11年(1878年)に創業した旗野窯は、4代目である麗子さん(長女)、聖子さん(三女)、佳子さん(四女)の3人の姉妹が先代より受け継いでいる、全国的に見ても珍しい窯元です。さらに、佳子さんの夫・廣治さん、長女の明日香さん、次女の香織さんも加わり、現在は旗野家6名で焼き物の制作を行っています。

旗野窯では、戦前は主にすり鉢や植木鉢などを製造していたそうですが、戦後それらの需要が落ち込んでいく中で、3代目の義夫さんは民芸陶器の道を歩み始めます。義夫さんが目指したのは「本物の手作りで、使いやすく誰にでも買える価格の陶器」でした。

昭和38年(1963年)、義夫さんが初めて出品した日本民芸公募展で「面取湯呑」が奨励賞を受賞。その後も「面取茶器」や「面取コーヒーセット」などで受賞を重ね、庵地焼の名が広く知れ渡るようになりました。

旗野窯では、茶器やカップ、飯碗に皿、小鉢に酒器など、日常的に日本の食卓で使われるあらゆる器を制作しています。厚みのある器は持ちやすく、どこかほっとした気持ちにさせる温もりにあふれています。

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面取コーヒーカップ。持った時に安定感が得られるように、持ち手の下部を丸く削っている。

 

数カ月もの時間をかけて土づくりを行う

手作りの焼き物というと、一般的にはろくろを使って作品を作るところだけがイメージされますが、ここ旗野窯では、土づくりから手作業で行われています。

土づくりの作業は真夏にストックしておいた庵地の土を掘るところからスタート。それを大地に広げて天日干しし、その後、水簸(すいひ) と言われる作業(乾いた原土を水に溶かしてゴミや砂などの不純物を丁寧に取り除いていく)を行います。

水簸後1カ月かけて沈殿を待ち、さらに別の漕(そう)に流し込み、また1カ月かけて水抜きをして泥を作ります。

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乾燥させた泥は手に持てる固さになったら素焼きの入れ物に入れ、1~3週間屋外で自然乾燥させる。

それを工房に運び込み、今度はその土を均一な柔らかさにするために、広い板を敷いて、その上に約300kgの土を載せ、水を掛けながら素足で踏み込む「土踏み」を行います。土の粘りを損なわないように、旗野窯では今でも続けられており、半日以上かかる最も重労働と言える仕事です。

その土を今度は土もみ台に50kg分上げ、手で練りながら空気を抜く「土もみ」を行い、2カ月かけてようやく使える土になります。

「夏に始まる土づくりはその年の12月まで続くんですよ」(聖子さん)。土づくりは、最終的な仕上がりに大きな影響を与える、非常に重要な作業工程となっています。

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土踏みされた粘土は乾かないように工房内の地中で保管される。
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土もみをする明日香さん。50kgの土を5.5kg~6kgほどに切り分け、8玉ほど作り、1玉ごとに丁寧にもんでいく。
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よく揉まれた土は空気が抜けて密度を増す。1玉ごとに「菊もみ」は150回もされる。

 

電気ろくろではなく、蹴りろくろで制作

明治11年(1878年)に建てられたという工房では、電気ろくろではなく足で蹴りながらろくろを回転させる「蹴りろくろ」が使われています。何十年も壊れることなく使っていける蹴りろくろは、「経験を積み重ねることでスピードの微調整がしやすくなり、私たちにとっては電気ろくろよりも扱いやすいんです」と佳子さん。

土もみを終えた粘土をろくろの上に載せ、回転速度を自在に操りながら形を整えていきます。砂を丁寧に濾した庵地の土は、焼き上がると体積は約23%も縮小します。そのため、仕上がりをしっかりとイメージしながら形を作らなければなりませんが、そこにも高い技術と経験が求められます。

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トンボ(寸法)を使い、口径と深さの確認をする。
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鹿皮を使って器の口を丁寧に整える明日香さん。蹴りろくろは、手と同時に足も動かす。
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ビールカップを作る佳子さん。白熱灯の明りが作業に適しているそう。
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飲み口は親指のカーブに合わせて曲線を作る。
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焼き上がったビールカップは2回りほど小さくなる。

あえて手間の掛かることをやってきたからこそ、残ることができた

「私たちは商売をへたくそにやってきたから残ることができたのだと思います」と佳子さんは話します。手間の掛かる土づくりから手作業で行い、量産しやすい電気ろくろではなく、細やかなコントロールがしやすい蹴りろくろを選ぶ。加工しやすいように色々な土地の土をブレンドするのではなく、あえて庵地の土だけを使う。

効率化とは違う独自の価値基準を持って焼き物を続けてきたからこそ、庵地焼がどの焼き物にも似ていない独自の強い個性を持てたのだと思います。

旗野窯の焼き物は直販を中心に行っています。「お客さんが嬉しそうに選んで、買った器を大事そうに抱えて帰る。それを見るのが嬉しくて、このために土だらけになっているんだなと感じますね。これは、機械を使わずに、手作りでやっているからこそ味わえるのだと思います。焼き物は人を幸せにするもの。そのことをこれからも忘れずにやっていきたいですね」(佳子さん)。

時代の移り変わりに影響されることなく、独自の価値を生み続ける旗野窯。「時々、何十年も前に買った器を持って来られるお客さんがいらっしゃいます。器が私たちの手を離れた後、お客さんの元で長く使われ色々な思い出が作られるというのも、とても嬉しいことです」と佳子さん。

3代目の義夫さんが徹底してこだわった「使いやすさ」。頑丈で飽きのこない器だからこそ、何十年も愛用してもらえるのだと思います。

庵地焼は、お客さんの手に渡り長く使われることで艶を増し、それぞれの家庭で物語を紡いでいきます。

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9年前に36年ぶりに復活した登り窯。普段はガス窯が使われるが、毎年12月ににここで薪を使って2昼夜半かけて焼く。
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登り窯ではガス窯とは違う風合いの器が出来上がる。毎年数量限定で制作され、その年の干支が底に刻まれる。

 

登録商標 庵地焼 旗野窯

住所:新潟県阿賀野市保田148-3

TEL:0250-68-2272

URL:http://www.anchiyaki.jp/

 

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鈴木亮平

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